高齢者の記憶力は悪くない!

 顕在記憶は加齢で低下するけれど、潜在記憶は変わらない
20個の言葉を覚えて、すぐにその言葉を思い出して書き出すテスト(再生課題)をすると、年齢が高くなるほどその成績は悪くなります。これが、記憶能力が年齢とともに悪くなっていくといわれるゆえんです。学習後、すぐに、その学習エピソードを思い出す場合に検出される記憶は、顕在記憶と呼ばれ、多くの研究がなされてきました。一方、比較的最近研究がなされるようになってきた、潜在記憶は、加齢の影響が現れにくいことが知られています。
 顕在記憶と潜在記憶の違いを、分かりやすく言えば次のようになります。

 ■顕在記憶=一夜漬けの学習効果
  「え〜と、あれは確かあそこで勉強したことだったけど...と」直接学習エピソードを思い出そうとするときに使われる記憶。
 ■潜在記憶=実力テストの成績に現れる学習効果いつ勉強したのかは思い出せなくても、ある学習により実力テスト
  の成績が上がる時に使われる記憶

顕在記憶と潜在記憶は、どちらも特定の学習エピソードの効果を問題とするのですが、顕在記憶を測る課題で測定する場合は、加齢の影響を受け、潜在記憶を測る課題で測定すると影響を受けないというわけです。



 潜在記憶(実力)レベルで描き出される高齢者の到達度は、青年と同じように上がっていくはず(未確認)
実力(潜在記憶)レベルで学習効果を測定するためには、顕在記憶の影響が出てこない状況でテストをする必要があります。それが非常に難しいのですが、一番シンプルな方法は、学習が終わって、1週間や1ヶ月あけてテストをすることです。顕在記憶は、学習とテストのインターバルが長くなると急激に出なくなりますが(記憶はすぐに忘れてしまうと言われる所以です)、潜在記憶レベルの学習効果は、少なくとも数ヶ月単位で保持されることがはっきりとしています(→
記憶の超長期持続性に関する研究)。つまり、学習から一定の長い時間をあけて、テストを実施すれば、潜在記憶レベルでの学習効果を見ることができます。
ところが、英単語などは、長い期間で何度も繰り返し学習をします。それぞれの学習イベントの影響がどのように積みあがっていくのかをグラフとして描き出すためには、それぞれの学習に対応させて、テストを実施するよう、勉強のスケジュールを詳細に制御する必要があります。
日常の学習場面で、一人の人間のスケジュールを厳密に制御することは、非常に難しいことです。様々な誤差が入いることを前提に、それを最小にする方法を考えることも必要ですし、そもそも、たくさんの学習内容について、詳細な学習とテストのスケジュールを作り出すことはとても難しいことです(→「経験」を科学することの難しさ)。
マイクロステップ計測技術により、どうにかスケジュールを制御して学習効果を連続して測定できるようになり、それが一般のDS用英単語ソフトに導入されたのが、「Theマイクロステップ技術で覚える英単語」です。



 高齢者の記憶に関する新たな研究の必要性
意外に思われますが、これまで、潜在記憶レベル(実力レベル)の学習効果が、どのように上がっていくのかを示す研究データは全く存在しません。単発的な実験で高齢者の潜在記憶を測定することはできても、その積み重ねを体系的に、連続して測定していくことが、これまでできなかったためです。
ですが、既に十分ある潜在記憶研究の知見を参考にすれば、実力(潜在記憶)レベルで学習の積み重ねの効果を時系列的に描き出した場合、その積み重ねのパターンは、若者と高齢者ではそれほど大きな違いはないと考えられます。
DS用の英単語学習ソフトが発売された時に、知り合いの学校の先生を退職された(まだバリバリ活動されている)方が、それを使って勉強し始めたと聴いて、上の論理を確かめたいと思い、勉強が続いたらぜひデータを見せてほしいとお願いしました。その結果、その方は1年半で、収録されている2100語の結構難しい英単語を全て、覚えてしまいました(驚き!)。このソフトは、一番難易度の高いSSランクの単語は、TOEIC800点を越える人でも学習し甲斐のある単語が入っています(→
THE マイクロステップ技術で覚える英単語 画像掲示板)。学習意欲が高い方だと思いますが、こんな難しい英単語を習得されたグラフを拝見したときはビックリしました。
毎日かなりの時間をかけて勉強されたと聞いていますが、それを継続し続けるのも並大抵のことではありません。このマイクロステップ計測技術は、単に、実力レベルの学習効果の積み重ねを描き出せる技術で、面白い学習を提供しているわけではありません。 これまでの研究で、その高い測定精度は実証されていますが、より重要になると思う点は、この技術で自分自身に関する正確な情報をフィードバックするだけで、人をやる気にさせることができるという点です。
マイクロステップの研究では、これまで、子どもたちの意欲を向上させることを第一の目標として、一般の小中学校や、不登校児童生徒の学習支援へマイクロステップ計測技術を導入する研究を進めてきています。そこで明らかになってきたのが、このやる気の向上です。麻布高校の実験でも、このソフトを長く使うほど、勉強を続けようという意識が高くなることが明確に示されていますし、不登校生徒の支援でも信じられないほど学習をするようになる事例が出てきています。
つまり、自分の正確な実力レベルを知ることができる学習環境を用意することは、確実に「学習を継続」しようという意欲を高めることが明確になってきています。その一つの例が、ここでも示されたのではないかと思っています。

高齢者の記憶の新しい側面と、意欲向上を引き出す新しいアプローチは、今後とても大切になると思っています。DSのソフトは現時点で、学術的にも世界で最高の測定ツールであることは間違いありません。それを使って、今まで知られていなかった高齢者のパワーを科学的に明らかにしていくような研究を、一緒にやっていただける方がいらっしゃれば、コンタクトを取っていただけるとありがたいと思っています。これまで、私の研究室は、マイクロステップ技術を使った学習支援を一般の小中学校に導入して、子どもたちの学力向上と意欲向上を目標にした研究をメインに進めてきており、それが実用レベルになり、多数の学校から支援の要請も寄せられ始めています。しばらくはそちらで自転車操業が続くと思いますが、高齢者の記憶や意識に関する研究も、可能な限り早く広げるべきだと考えています。年齢の高い方のデータがもう少し集まれば、麻布高校の高校生や大学生のデータとぜひ比較してみたいと思っています。大きな違いは出てこないのではないかと思っています。



 高齢者も若者も頭に入れる能力は変わらない?
最後に、高齢者の記憶力が、顕在記憶では悪くなる理由を、私の理論から説明してみます。情報を入れる能力は、若者と高齢者はそれほど変わらないとすれば、なぜ、年をとるにしたがって、昨日夕食で何を食べたのか忘れるようになるのでしょうか?
この解釈を理解していただくためには、まず、「記憶はずっと残る」という、新しい事実を知っていただかなければなりません(この事実が、私がマイクロステップ計測技術を確立しようと考え始めたきっかけです→
記憶の超長期持続性に関する研究)。詳細は、また別途紹介する機会が出てくると思いますが、全ての情報を人間がずっと頭に蓄えていくとすれば、年齢が高くなるほど、類似した経験量が多くなっていくはずです。その中で、顕在記憶(一般的な記憶)の課題は、ある特定のエピソードのことを思い出してもらう課題です。似た経験エピソードがたくさんあれば、特定のエピソード(昨日夕食で何かを食べた)の影響だけを引き出すことは、干渉を受け難しくなるわけです。つまり、記憶はずっと残るという、事実をベースにすれば、高齢者の顕在記憶が悪くなるという事実は、うまく説明できます。
言い換えれば、高齢者も若者も頭に入れる能力は変わらず、年齢とともに記憶力が悪くなるのは、忘れてしまうからではなく、思い出しにくくなっているだけというわけです。

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